簡単な原理¶
SRIMで実施される計算について簡単に説明します. あわせて, SRIM の計算に必要な パラメータはどのようなものが必要かを考えていきます.
高速原子に働く力¶
始めに, 高速で固体内を移動する原子に働く相互作用を見てみましょう. 大きく分けて, 「原子核同士の衝突」と」電子間相互作用による阻止能」が 考えられます.
2体衝突モデル¶
原子(または原子核)を剛体球とみると, 衝突する, 及び衝突される原子の運動は古典力学の範疇で解くことができます. この時, 事前に必要な情報は以下の物があります.
- 入射原子, 標的原子の質量
- 入射原子の速度(エネルギー)
- 入射原子, 標的原子の位置関係(衝突係数, Impact parameter)
- 入射原子, 標的原子間相互作用
この中では4.の相互作用については注釈が必要かと思います. 入射原子, 標的原子が完全な点電荷であるならば, 両者の相互作用は単純な クーロン力になります(そのように仮定した場合の軌跡が有名なラザフォード散乱です). 実際には, それぞれの原子の原子核の周りには(イオンとは言え)電子が存在していますの. これらによる遮蔽されたクーロン力が働きます. SRIMでは原則として, Ziegler, Litmark, Biersakらによる遮蔽モデルが用いられています.
電子相互作用によるエネルギー損失¶
固体内を高速で移動する原子は, 先に述べた原子核同士の衝突に加え, 原子核と固体内に存在する多数の電子との相互作用によりエネルギーを失います. 詳しい説明は省略しますが, エネルギーを失う度合いは,
- 固体内に存在する電子密度=(標的材料の原子番号と原子密度)
- 入射原子核の電荷=(入射原子の原子番号)
- 入射原子の速度(エネルギー)
に依存します.
阻止能¶
入射したイオンが薄い標的材料を通過すると, 入射イオンは上記2種類の相互作用の影響により, その移動方向を変え, またエネルギーを減じます. このエネルギーの減じ方は, 標的内の原子とどのような衝突を行うか(つまりインパクトパラメータ), 標的材料内で何回の衝突が生じるか(平均自由行程), によってまちまちです. しかし, 何回も試行を繰り返すとある平均的な値に落ち着くことは予想できるかと思われます. この, 原子が単位長さ移動した場合に減じるエネルギー量を」阻止能(Stopping Power)」と呼びます. 特に原子核同士相互作用によるエネルギー損失を核的阻止能(nuclear stopping power), 電子との相互作用によるものを電子的阻止能(electronic stopping power)と呼びます.
原子のはじき出し¶
標的材料内のある原子が入射イオンと衝突すると, その原子は運動エネルギーを得ます. 繰り返しになりますが, 衝突により被衝突原子が得るエネルギー, 運動方向は条件によりまちまちです. もし, シミュレーションを行う対象が入射原子と, この被衝突原子しかないの であれば, 被衝突原子はそのまま元いた位置から離れて行きます. しかしながら, 多くのシミュレーションでは, 被衝突原子は周りにある他の 標的材料原子と結合しているため, 元いた位置に留まろうとする力が働くはずです.
SRIMではどのように原子のはじき出しが起きるかに付いて, 次の2種類の エネルギーを標的材料ごとに定義します.
- Displacement Energy:
被衝突原子の持つエネルギーが, Displacemet Energy 以下の場合, その原子は元の位置から動かないとする. このエネルギーは10eV~20eV が適当とされています.
受け取ったエネルギーは隣接する原子との格子振動として散逸します. SRIM内では」Phononが受け取ったエネルギー」として算出されます.
- Lattice Binding Energy:
もし被衝突原子の持つエネルギー(E2とします)が, Displacement Energy より大きい場合, その原子は周囲の原子との結合を振り切り, 元いた位置から飛び出します. この時に, 被衝突原子は Lattice Binding Energy 分のエネルギーを 元いた位置に残して移動するとします. つまり, 被衝突原子は, E2 から Lattice Binding Energy を減じた運動エネルギーを持ちます.
一方, 被衝突原子が元いた場所は格子欠陥(vacancy)となりますので, Lattice Binding Energy は, 格子欠陥を生成するためのエネルギーと 見ることができます.
これ以外に以下のエネルギーが定義されています.
- Surface Binding Energy:
- Displacement Energy 同様ですが, このエネルギーは表面付近の標的原子 に適用されます. 表面付近の原子がSurface Binding Energyより大きい エネルギー(かつ真空方向に向かう運動量)を持った場合, その原子は 標的材料から脱離する(スパッタされる)ものとします.
カスケード衝突¶
標的材料内の原子が衝突によりはじき出され, さらに十分に高いエネルギーを持つ場合, この原子は, 入射イオンと同様に, 他の標的材料原子に衝突し, 更なる原子のはじき出しを引き起こすかも知れません.
このように, はじき出し原子が更なる原子のはじき出しを連鎖的に生じる現象を, カスケード衝突といいます.
SRIMのアルゴリズムと必要なパラメータ¶
簡単にSRIMのアルゴリズムをまとめると次のようになります.
- 入射原子(あるいは他の高エネルギー原子)を一つ選び, 材料内の平均自由行程分移動させる. その際に電子阻止能によるエネルギー散逸を計算する.
- 2体衝突のシミュレーションを行う. 標的原子との衝突係数を, 乱数により 決定し, 衝突後の入射原子, 標的原子の移動方向, エネルギーを決定する.
- 標的原子のはじき出し(と入射原子の停止)を判定する. 入射原子と標的原子が それぞれ Displacement Energy よりも 大きいエネルギーを有しているならば, Lattice Binding Energyを差し引き, 1. の「高エネルギー原子」の一覧に 登録する. (あるいは標的原子が表面付近に存在するならば, スパッタの判定を行う)
- 全ての原子が停止するまで, 1~3を繰り返す.
また, シミュレーションで重要となるおもなパラメータは次のものです.
- 入射イオン
- 原子番号
- 質量
- エネルギー
- 標的材料(複数の層を構成できます)
- 密度
- 厚さ
- 構成原子
- 原子番号
- 質量
- 構成比
- Displacement Energy
- Lattice Binding Energy
- Surface Binding Energy
これらの中で, {Displacement, Lattice Biding, Surface Binding} Energy だけが一意に決める事が難しいパラメータで, たいていの場合デフォルト値が用いられます. この事実は,
- 既知の材料のパラメータで手軽にシミュレーションが開始できる
- シミュレーションをチューニングできる余地が少く, シミュレーション結果の精度について保証できない
ということが言えるかと思います. ですので, 精度に付いては あまり神経質にならず, あくまでもおおよその傾向をつかむ為の手法であることを 認識する必要があります.